ご挨拶
- 育てて二年目の、裏庭に咲く皇帝(南米)ダリヤです。晩秋に咲きます。3m50cm位の高さです。
- 初めてホームページを作り、公開します。
この諫早で昭和61年7月に開塾して30年余りになります。わたし(おとこ先生)とわたしの奥さん(おんな先生)の二人で学習塾を営んできています。わたしの場合は、開塾以前は10年間公私立高校の国語の教員をしていました。どちらかといえば、生身に近いことばで考え、行動できる、現在の塾の仕事の方がやりがいがあって気に入っています。
構成や表現が十分洗練されていないと思いますが、そのことよりむしろ等身大の生身のことばの現場をたいせつにしたいと思っています。ものごとには、必ずと言っていいほどプラス面とマイナス面とが同居しています。そのように今までたくさんのこどもたちを送り出してきて、当然うまくいかなかった場合もあります。けれど、すべてのこどもたちから、なんらかの眼に見えないおくりものを受け取っていることは確かです。それらを受け取りつつ、日々研鑽です。
ところで、日本中を旅して周り、自分の五感を駆使し、大多数の庶民の生活・文化(民俗)を追究し、明治から昭和期に活躍した、すぐれた民俗学者の柳田国男は次のように述べています。
「軒のき遊びという語は私の新たに設けた名称であるが、聞けば誰にもこの心持ちは呑のみ込めることと思う。一言でいえば、次の外遊びと対立し、また親の傍かたわらでの生活と外の生活との、ちょうど中間にあるものともみられる。小児が次第に保育者の注意から外へ出て行く一つの順序として、おりおりは何をしているかを知らずにいる場合、すなわちそこいらにいるはずだというような際には、多くはこの遊びに携たずさわっているので、家に手があり愛情が豊富なれば、たいていは誰かがそれとなく見ている。そうしてどんな綿密な家庭でも、これだけには行って参りますや、ただ今帰りましたを告げよとは教えない。眼に見えぬ長い紐ひものようなものが、まだ小児の腰のあたりには付いているのである。」 (柳田国男『分類児童語彙』)
塾の役割は、学力向上が一つの大きな柱です。一人一人のこどもたちが、学習の過程で自分と向き合い、格闘します。その過程で、自分に自信をつけ独り立ちしていくのを力いっぱいサポートします。もう一つの柱は、効率と成果主義の吹き荒れる余裕なき現在の社会の中、むろんわたしたちの塾もそれとは無縁ではありえませんが、たいせつなのは、社会性を身に付けさせることではなく、公教育と社会のはざまで、社会に対してはいわばその軒遊びの状況にある一人一人のこどもたちに、付かず離れずの距離で、一人一人のこどもたちが独り立ちしていくのを支え、見守りつつ、心やすらぐ場を提供することだと考えます。このことは、多数の塾で無意識的にであれ、日々実践されていることだと思います。社会に出れば、否が応でも社会性は身に付けざるを得ませんし、持って生まれた一人一人の根本的な性格は、一生を通じて緩やかに修正していくしかないと思います。
現在はあわただしい、気を抜けない社会ですが、わたしたちは一人の生活者としてまっとうに五感を駆使しつつ、相互交流としての、よき昔風の隣り近所のおじさん、おばさん、お兄さんの役割も、自覚的に果たしていきたいと思っています。
夢裏塾 代表 - 追記 「夢裏塾」の由来について
- 昔、「夢で会いましょう」という村上春樹と糸井重里の本がありました。それを少し意識し、どこか深いところでの出会いを求めたいと考えました。それから、古代の人々が、押し寄せる圧倒的な漢語文化の中で、この国の新しい言葉を苦労して作り出していった、そういう心意気を込めています。